これは私のフィーリングや考えを纏めるために書いている記事であって、私程度の若輩者が書く物ですから戯れ言であると疑って読むのが正しい姿勢とすら言えます。私はその前提で書いていますから、いかなる否定・示唆・忠告あるいは同意も拒絶しません。トラックバック・コメント歓迎です。
私が最初にスポチャンについて師事した先生は、自ら進んで型を教える事はしない人でした。「型は自分でやりたくなったらその時にやればいい」と仰っていました。
現在師事している先生は、「型なんて練習しても試合で使えない」という初級者の声に同意はしつつ、しかし「そうでもちゃんと意義はあるのだよ」と仰います。
お二人の立場は違えど、その根っこは共通しています。「自分で意義を理解できるようになるまで待てば良し」とするか「そのうち理解できるようになるから、今やっておいて損はない」とするかの違いだけであり、型に意義があるという点に違いは無いようです。
何故“型”が必要か。何のために練習するのか。実際に役に立つのか。
この質問を発する人に納得のゆく答えを返すのは簡単ではなく、故にか、「役に立とうが立つまいが先人の技を敬い鍛錬すること自体が武道だ」などという非論理的精神論を持ち出す人もいたりします。しかし指導者がそうであった場合は悲惨です。意味も効能もわからないまま黙々と同じ事の繰り返し稽古を強要される事は、少なくとも私にとっては苦痛でしかありません。ですから型を練習させるのであれば、少なくとも、その意義は後々見出せるという光明を与えることは指導者として必要だと思います。
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ところで私は生粋の理系脳。他者の言をそのまま受け入れられるようには出来ておらず、論理的に納得できない限り同調出来ない人間です。“型”の意義についても自分なりに考えてみましたので、ここに書いてみます。
さて、先の記事で書いたように基礎力を身体・精神・戦略の要素と考えた場合、“型”は戦略的要素に該当します。
戦略立案の為には何より客観的な分析が必要です。敵を知り己を知って初めて有効な戦略を立てることができます。これは武術に於ける型でも同じ。相手と自分双方の肉体と精神の性質や因果関係についてより深く理解しなければ、戦略を立てることも、逆に他者の練った戦略の意味を理解することもできません。ということは、達人が練った型を、我々のような若輩者が容易く理解できなくても、それは無理もない事なのです。
また戦略は一定の状況に於ける行動の指針として有効ですが、実際の世界はもっと流動的で複雑です。全て戦略策定時の想定通りに事が運ぶことなど滅多にありません。
では戦略を学ぶことが無意味かというと、そうでもない。いや、学んだ戦略をそのまま使おうとするのは現実的に無意味かもしれません。だがそうではなく、他者の戦略を分析して、その戦略策定の根拠、考え方を学ぶ事により、自らの状況に応じ戦略を立てる力を付けることができる、という点で意味があると思うのです。
(例えばGEやソニーの事業戦略を学んでも貴方の会社では使えませんが、その戦略策定の考え方を学べば応用できるでしょう、という事。)
ですから、武術の型を学ぶ際にも、その型を忠実に再現できるようになることは最初の一歩であって、その上で成り立ち、根拠を考える事こそが肝要なんじゃないかなあ、というのが今の私の考えです。
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なかなか題名の方向へ近づかないなぁ。(^^;)
続く、のか?