論理的思考の放棄 - 登 大遊@筑波大学情報学類の SoftEther VPN 日記
だが、人間の感覚的思考機能の上でエミュレーションされた論理的処理機能は、所詮エミュレータ上のようなものなので、実マシン (人間本体) と比較すると、とても処理が遅い。オーバーヘッドが大きすぎるのである。あらゆる方式の処理を瞬時に同時実行することができる人間の頭脳がせっかくあるのに、論理的処理用の仮想環境を脳の中で構築し、その上で物事を考えるから、効率が悪くなる。
私はよく、人から「論理的だ」と言われるが、物事を論路的に考えることは、実は、あまりない。どうやら、感覚的あるいは直感的に考えると「論理的な」結果が出るらしい。論理的に考えることも、できないわけじゃないが、そうするといつも論理的感覚→論理的思考の変換オーバーヘッドの面倒に悩まされる。たぶん「論路的に思考する」ことと「感覚的思考上で論理計算する」ことは、脳の働かせ方が根本的に違うんだろうと思う。後者は条件反射に近いから早い。登氏の言は、前者の方法が無駄だということじゃないかな。でも、それはプログラミングという作業が自分自身で完結する場合にだけ通用すること。
ちなみに私も自分で使うツールを作る為に時折プログラミングをするが、所詮一人で完結するものなので、ほぼ最初のイメージだけで最後まで完成させる。一人でやってる範囲なら論理的な説明や仕様なんて書く意味はない。ただ、他人に説明可能な論理的記述に落とす必要がある場面が、実際には多くある。で、それをするには大きなオーバーヘッドが生じるから、チームでプログラミングをする場合には効率が落ちる。それだけの話じゃないかな。
ちなみに、一人で完結する場合にもコーディングする以上、どこかで論理的な記述に変換が発生する筈だとも思えるが、実際はそうじゃない。慣れさえすればパターン化された抽象的記憶から自動的に、辞書を引くように、ひたすら単純作業で完結する。
キーボードを通じてコンピュータに物理的に入力する必要がある以上、論理的思考は完全にゼロということにはできないけれども、可能な限りゼロに近づける、これがコツです
これは、そういう感覚じゃないかと思う。
ちなみに、こういう感覚を誰もが実感できるかというと、それも難しいとも思う。
例えば武道においても、大人と子供じゃ条件反射を身につけるプロセスが逆なんじゃないかと思うことがある。大人の脳は既に普段の生活に最適化されているから、新たな条件反射を身につけるにはひたすら反復練習して脳神経回路を新しく構成しなくちゃならない。でも子供は違う。子供の脳は最適化が進んでおらず、いかなる反射行動の可能性を捨て去っていない、いわば反射の塊みたいなもの。彼らが条件反射を身につける過程は、時間を経るに従って、不必要な反射機能を捨ててゆくように見える。(不要な神経回路が自壊するスピードは一定なので、時間はかかるんだけどね。)
つまり、こういう感覚は脳が最適化される以前に身につけない限り理解できないのかもしれないな、と。